その先の感動へ
2023年10月22日、りゅーとぴあは25周年を迎えます。
この街の芸術文化を支えようと一生懸命だった私たち。
でも、実際に支えられていたのは、私たちの方でした。
ご来場のお客様。
施設を利用してくださる主催者の方々。
音楽やお芝居の稽古に励む子どもたちと、その先生方。
りゅーとぴあに関わるすべての皆さまに、今、ありがとう。
りゅーとぴあの思い出
~市民の皆様から寄せられた
25年間の幸福な記憶~
妻と2人も悪くないな
20年くらい前、りゅーとぴあか県民会館か曖昧ですが、子ども4人を連れて「ピーター・パン」を観にいきました。ピーター・パンがフライングをした時には指を差して喜んだ子どもも大人になり独立。2023年の「ピーター・パン」は妻と二人で行きました。子どもの笑顔を思い出しながら、それでもずっと隣にいる妻と2人も悪くないなと思いました。(匿名)
孫娘との大切な時間
真夏の暑い日、「オーケストラはキミのともだち」に行きました。今回は小学校1年の孫娘と2人で。早く会場に行ったのは、「わたしの珈琲店」で食事をしたかったからです。孫娘はハニートーストとクリームソーダ、私はナポリタンのプレートとアイスコーヒー。ゆっくり食べてホールに入りました。
演奏は素晴らしいことは言うまでもなく、私は孫娘との大切で貴重な時間を過ごすことができました。
押し付けるのではなく、少しずつ音楽に興味を持ってもらうことを、ジイさんは願っています。また一緒に行きたいと思います。おいしい食事をしてからね。(長谷川操)
今までのご褒美のつもりで
オープンの頃、仕事で、津川(阿賀町)から新潟に来られた方を接客しました。「来週りゅーとぴあに出かけるのに新しい洋服がほしい」と楽しそうに語られ、私もあんな風に楽しみを見つけて過ごしたいなあと思っていました。
その直後、会社を50才で退職することになり、家族の介護にあけくれた日々。時々りゅーとぴあに出かけ気分転換をしたものです。私の両親、夫の両親ともに見送り今は自分のことだけを考える日々になり、今までのご褒美のつもりで時々そちらに出かけリフレッシュしております。この25年はアッという間でした。(匿名)
私の半生はりゅーとぴあと共にある
東京からUターンして間もなくりゅーとぴあができ、東響の定期会員となりました。以来、定期演奏会には車を走らせ聴きに行っております。隣の席は最初はご夫婦で、その旦那様も亡くなり、奥様と娘様も十数年前に「今日でこの席とは最後です」とご挨拶され、今は別のご夫婦が座られています。
東響の方も最初からいらっしゃる方を見るとホッとしますし、若い方もどんどん入ってこられ、がんばれ!とエールを送りたくなります。私の人生に音楽という彩りを与えてくださったりゅーとぴあに感謝です。その感謝の気持ちをもって、またりゅーとぴあに車を走らせます。(匿名)
でもお父さん、寝ていましたよね
演歌が大好きだった亡き父がオーケストラを聴きたいと言うので東京交響楽団のコンサートに一緒に行きました。
帰りに父が「もっといい席で聴きたかった」と言うのです。でもお父さん、演奏中気持ちよさそうに寝ていましたよね。(NAOKO)
泣いておられた方も
東日本大震災後すぐのラ・フォル・ジュルネの、仙台フィルの演奏。あんなに熱く心が込もった演奏を知りません。思わず泣いてしまいました。
復興支援への感謝の気持ちや、様々な想いが伝わってきました。演奏者の中にも泣いておられる方もいらっしゃいました。良いものを聴いたと心から思いました。(みこ)
仕事や子育てをやりくりし最後までやりきった
新潟に新しい会館ができると知って、オープニング記念のミュージカルのオーディションを受けました。ワークショップも含めて135回もの稽古があり、充実した気分で緊張の本番を迎えました。子どもたちも含めて大所帯で厳しい練習をくぐり抜けた貴重な経験でした。仕事や子育てをやりくりしながらも最後までやりきったことは誇りに思います。(Lovieさん)
そこで働く方々の大ファンでもある
中学の職業体験で企画課の方にお世話になりました。感動を作る舞台裏を、時に真剣に、時に茶目っけたっぷりに教えていただきました。それ以来、りゅーとぴあの企画だけではなくそこで働く方々の大ファンでもあります。(キャロライン8号)
頭の中に感嘆符(!)が次々と
初めてNoismを見た時の衝撃を今でもはっきりと覚えています。スタジオの最前列でダンサーの息遣いやシューズの床に擦れる「キュッ、キュッ」という音を聞きながら、その迫力に恐怖さえ覚える中で、異次元の世界へ導かれました。
「こんな凄い芸術が、東京ではなく地元新潟で観ることができるんだ!」頭の中に感嘆符(!)がついたワードが次から次へと浮かびました。それ以来Noismの熱狂的な隠れファンとなりました。
芸術が、こんなにも人の心に感動と、生きる歓びを届けてくれる。その凄みを知った私はりゅーとぴあに通い続けて、たくさんの芸術の恩恵を頂いています。(匿名)
パイプオルガンとともに結婚式を挙げた
伊勢丹のブライダル企画に応募したところ、りゅーとぴあで結婚式をあげることができました。普通では味わえないパイプオルガンの音色。ホールの階段で互いの家族と友人達と一緒に撮った写真。とても素敵な思い出です。(kinoko)
少しずつ恩返しできたらいいな!
新潟市ジュニアオーケストラ教室に小学4年生から高校3年生まで所属していました。ジュニオケで始めたトランペットは今でも生活の一部ですし、ジュニオケで過ごした8年半と出会った人たちは一生の宝物です。楽しかったことも辛かったことも、たくさんの思い出がりゅーとぴあと共にあります。お世話になった分、少しずつ恩返しできたらいいな!(佐藤瞭)
妻と2人も悪くないな
20年くらい前、りゅーとぴあか県民会館か曖昧ですが、子ども4人を連れて「ピーター・パン」を観にいきました。ピーター・パンがフライングをした時には指を差して喜んだ子どもも大人になり独立。2023年の「ピーター・パン」は妻と二人で行きました。子どもの笑顔を思い出しながら、それでもずっと隣にいる妻と2人も悪くないなと思いました。(匿名)
孫娘との大切な時間
真夏の暑い日、「オーケストラはキミのともだち」に行きました。今回は小学校1年の孫娘と2人で。早く会場に行ったのは、「わたしの珈琲店」で食事をしたかったからです。孫娘はハニートーストとクリームソーダ、私はナポリタンのプレートとアイスコーヒー。ゆっくり食べてホールに入りました。
演奏は素晴らしいことは言うまでもなく、私は孫娘との大切で貴重な時間を過ごすことができました。
押し付けるのではなく、少しずつ音楽に興味を持ってもらうことを、ジイさんは願っています。また一緒に行きたいと思います。おいしい食事をしてからね。(長谷川操)
今までのご褒美のつもりで
オープンの頃、仕事で、津川(阿賀町)から新潟に来られた方を接客しました。「来週りゅーとぴあに出かけるのに新しい洋服がほしい」と楽しそうに語られ、私もあんな風に楽しみを見つけて過ごしたいなあと思っていました。
その直後、会社を50才で退職することになり、家族の介護にあけくれた日々。時々りゅーとぴあに出かけ気分転換をしたものです。私の両親、夫の両親ともに見送り今は自分のことだけを考える日々になり、今までのご褒美のつもりで時々そちらに出かけリフレッシュしております。この25年はアッという間でした。(匿名)
私の半生はりゅーとぴあと共にある
東京からUターンして間もなくりゅーとぴあができ、東響の定期会員となりました。以来、定期演奏会には車を走らせ聴きに行っております。隣の席は最初はご夫婦で、その旦那様も亡くなり、奥様と娘様も十数年前に「今日でこの席とは最後です」とご挨拶され、今は別のご夫婦が座られています。
東響の方も最初からいらっしゃる方を見るとホッとしますし、若い方もどんどん入ってこられ、がんばれ!とエールを送りたくなります。私の人生に音楽という彩りを与えてくださったりゅーとぴあに感謝です。その感謝の気持ちをもって、またりゅーとぴあに車を走らせます。(匿名)
でもお父さん、寝ていましたよね
演歌が大好きだった亡き父がオーケストラを聴きたいと言うので東京交響楽団のコンサートに一緒に行きました。
帰りに父が「もっといい席で聴きたかった」と言うのです。でもお父さん、演奏中気持ちよさそうに寝ていましたよね。(NAOKO)
泣いておられた方も
東日本大震災後すぐのラ・フォル・ジュルネの、仙台フィルの演奏。あんなに熱く心が込もった演奏を知りません。思わず泣いてしまいました。
復興支援への感謝の気持ちや、様々な想いが伝わってきました。演奏者の中にも泣いておられる方もいらっしゃいました。良いものを聴いたと心から思いました。(みこ)
仕事や子育てをやりくりし最後までやりきった
新潟に新しい会館ができると知って、オープニング記念のミュージカルのオーディションを受けました。ワークショップも含めて135回もの稽古があり、充実した気分で緊張の本番を迎えました。子どもたちも含めて大所帯で厳しい練習をくぐり抜けた貴重な経験でした。仕事や子育てをやりくりしながらも最後までやりきったことは誇りに思います。(Lovieさん)
そこで働く方々の大ファンでもある
中学の職業体験で企画課の方にお世話になりました。感動を作る舞台裏を、時に真剣に、時に茶目っけたっぷりに教えていただきました。それ以来、りゅーとぴあの企画だけではなくそこで働く方々の大ファンでもあります。(キャロライン8号)
頭の中に感嘆符(!)が次々と
初めてNoismを見た時の衝撃を今でもはっきりと覚えています。スタジオの最前列でダンサーの息遣いやシューズの床に擦れる「キュッ、キュッ」という音を聞きながら、その迫力に恐怖さえ覚える中で、異次元の世界へ導かれました。
「こんな凄い芸術が、東京ではなく地元新潟で観ることができるんだ!」頭の中に感嘆符(!)がついたワードが次から次へと浮かびました。それ以来Noismの熱狂的な隠れファンとなりました。
芸術が、こんなにも人の心に感動と、生きる歓びを届けてくれる。その凄みを知った私はりゅーとぴあに通い続けて、たくさんの芸術の恩恵を頂いています。(匿名)
パイプオルガンとともに結婚式を挙げた
伊勢丹のブライダル企画に応募したところ、りゅーとぴあで結婚式をあげることができました。普通では味わえないパイプオルガンの音色。ホールの階段で互いの家族と友人達と一緒に撮った写真。とても素敵な思い出です。(kinoko)
少しずつ恩返しできたらいいな!
新潟市ジュニアオーケストラ教室に小学4年生から高校3年生まで所属していました。ジュニオケで始めたトランペットは今でも生活の一部ですし、ジュニオケで過ごした8年半と出会った人たちは一生の宝物です。楽しかったことも辛かったことも、たくさんの思い出がりゅーとぴあと共にあります。お世話になった分、少しずつ恩返しできたらいいな!(佐藤瞭)
りゅーとぴあ
ゆかりの方々からメッセージ
25周年を迎えるにあたり、
りゅーとぴあにゆかりのある方々からメッセージをいただきました。
-
りゅーとぴあのファンの皆様、スタッフの皆様、開館25周年おめでとうございます。私は東京交響楽団とりゅーとぴあの素晴らしい音響でリハーサルやコンサートをするのがとても好きです!これからもりゅーとぴあで皆様と音楽で会話できるのを楽しみにしております!
りゅーとぴあジルベスター・コンサート出演
原田慶太楼さん -
開館25周年おめでとうございます。いつも温かく迎えて下さってありがとうございます。新たな緊張と共に旅公演へと出発するカンパニーにとって、「りゅーとぴあ」は柔らかに力みを抜いてくれる頼れる存在です。今年はケムリ研究室『眠くなっちゃった』の皆で伺います。少しでもご恩返しが出来ますよう、精一杯頑張ります。
ケムリ研究室no.3『眠くなっちゃった』
演出/ケラリーノ・サンドロヴィッチさん
出演/緒川たまきさん -
おめでとうございます。四半世紀ですね。市民に開かれた、交流の機会を作っている劇場で、文化の発信拠点として機能していることにいつも感心しています。25年といわず50年、100年を目指して、これからも市民県民への文化発信拠点であり続けてほしいです。
JACROW「闇の将軍」四部作 脚本・演出
中村ノブアキさん -
25周年誠におめでとうございます。開館の年から狂言公演のご縁を頂き、有難く存じております。こじんまりとした観客との一体感が生まれ易い能舞台、劇場では新作などスペクタクルな要素のある公演もさせて頂きました。充実した事業を継続されますと共に、古典芸能の普及にも引き続きお力添えくださいますよう念願しております。
野村万作・萬斎狂言公演「唐人相撲」出演
野村万作さん -
新潟市民芸術文化会館の25周年を祝う 新潟市民芸術文化会館が、多くの市民の高い芸術文化活動の場となって居ることを大変ありがたく、うれしく思っております。新潟は多くの先輩たちの工夫と努力によって歴史的に発展してまいりました。江戸時代に大河信濃川の中州に在った白山島に新潟の街を築いたことをはじめ、日本を代表する対外的に開かれた5港に指定されたこと、信濃川の分水による洪水の制御を行ったことなど多くの歴史的積み重ねがあって今日を迎えております。しかし何といってもそこに住まいする市民の、充実した生活があってこその街でなければなりません。
新潟市民芸術文化会館が、今後とも市民の水準の高い芸術文化活動の殿堂として、国際的文化交流の場として、そして市民に愛され利用され続ける場として発展していくことを大いに期待するものであります。元新潟市長
長谷川義明
記念事業のご案内
25周年を記念し、りゅーとぴあをよりお楽しみいただける公演を提供いたします。