Special interview 長富 彩さん(前編) – オペラ歌手の父と、ピアニストの母。自然な流れで音楽の道へ
(C)井村重人
Special interview 長富 彩さん(前編)
いよいよ 9/16(木)にリサイタル を行う長富 彩さん。「りゅーとぴあで演奏するのは初めて」という長富さんのことが知りたくて、ロング・インタビューをお願いしました。長富さんは快く引き受けてくれた上、たくさんのプライベート・ショットを提供してくださって、とても華やかな記事となりました!
《心の中に溢れる音楽を私なりに伝えたくて、YouTubeを始めました》
―― 今回のインタビューにあたり、長富さんのオフィシャルHPやSNSを拝見しました。YouTubeでも配信されていますが、どの動画も素敵ですね。
長富彩さんのチャンネル「AyaNagatomiWeb」より
長富さん ありがとうございます!昨年の4月頃からYouTubeでの配信に力を入れはじめました。コロナ禍で演奏会が次々になくなる中で、自分の心の中に溢れる音を届ける場がないことがどれだけ苦しいかを実感しました。
実はYouTubeは10年以上前にとても力を入れていて、留学でハンガリーからアメリカに渡ったのも、マネージャーと縁を繋いでくれたのも、きっかけはYouTubeだったんです。やはり世界に発信していくことは大切ですね。
今は多くの方がインターネットで発信する時代ですが、私なりにできることを伝えていきたいと思い、いろいろとコンテンツを考えて配信しています。
《私にピアノを教えたくなかった母。でも、私が弾き始めると感じるものが…》
長富 彩さん、3歳の頃
―― オペラ歌手の父と、ピアニストの母の間に生まれました。音楽(ピアノ)との出会いについて教えてください。
長富さん 私は母のお腹にいる時から、父がかけるこだわりのCDを聴いていて、音楽の道に進んだのは自然な流れでした。
家にはさまざまな音楽が溢れていました。幼少期から好きな曲はドヴォルザークのシンフォニーでしたし、父が聴かせてくれたタンゴやマンボでお尻を振って踊っていたそうです(笑)。
ピアノは最初から憧れていたわけではなく、幼稚園でバイエルを弾いていた子の周りにたくさんお友達が集まり拍手を受けていたのをみて、目立ちたがりで一番でいたかった私は「ピアノを弾けば人気者になれるんだ!」と思い、その場で母に土下座をして教えを請いました。
もともと母は、私にピアノをさせたくなくて遠ざけていました。プロとして私に厳しくしてしまうのが分かっていたから。でも、いざ私がピアノを弾くと、何か感じるものがあったそうです。
当時、他の子より読み書きが遅かったり、色々と私に不安を感じていた母は、「この子はピアノで生きていけるようにしなければ」と決意したそうです。
小学生の頃、愛犬たちと
《幼少期に言われた「10年に一人の感性」。今でも人生経験や感情を大切にしています》
―― 幼少期から「10年に一人の感性」と評価されるなど、非凡なエピソードの数々をお持ちです。
長富さん 「10年に一人…」というのは小4で師事した御邊典一さんのお言葉ですね。先生は、私を型にはめると感性が消えてしまうと考えて、感性を育てる方向にしてくださったのです。そのことには心から感謝しています。
恩師の御邊典一先生と
長富さん 私はコンクールに出る代わりに、小中学生の頃から毎年自分のリサイタルを開き、プログラムも自分で考えて人前で演奏してきました。
今でも音楽を奏でる上で、人生経験や感情を一番大切にしています。大作曲家もたくさんの悲劇や喜びの中で音楽を生み出したのですから、たくさんの感情の引き出しなくして表現はできないのだろうと思っています。
―― 難関の東京音大附属高校ピアノ演奏家コースの推薦入試で、その年ただ一人合格されました。
長富さん 勉強があまり得意ではなかったので、実技で評価される推薦入試にかけていました。祈るような気持ちで合格発表を見にいき、その時ばかりは涙が溢れて家族で抱き合ったのを覚えています!
Special interview(後編)につづきます!