りゅーとぴあの思い出
1998年10月22日にオープンしたりゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館は、2023年に25周年を迎えました。
25周年記念「りゅーとぴあの思い出キャンペーン」に、市民の皆様からお寄せいただいたメッセージの一部をご紹介します。
※思い出メッセージは文章の長さや固有名詞等を一部修正しています。
INDEX
家族
最後まで泣かずに楽しめました
子どもが生まれてコンサートから遠ざかっていた頃、赤ちゃんと一緒に聴くクラシックコンサートがあることを知り、家族で行きました。私はドキドキでしたが、子どもは最後まで泣かずに一緒に音楽を楽しめました。(マリ)
今でも子どもの姿が現れます
子どもの吹奏楽大会で何度か行きました。今でも座席に座ると子どもの姿が現れます。ドキドキしながら観ていた自分がいて胸が熱くなってくるようです。(栗ごはん)
子どもが指揮者になりたいと言うので
子どもが指揮者になりたいと言うので「オーケストラはキミのともだち」のチケットを購入し、指揮者が良く見えるPブロックで鑑賞しました。本当に素晴らしいコンサートで、それからずっと子どもと行けるコンサートに足を運んでいます。あの最初の感動は今も心にあります。(女池菜)
娘は中学校の音楽教師になりました
初めて娘と行ったのはラ・フォル・ジュルネ。シンフォニア・ヴァルソビアの美しい音色を聴き胸いっぱいになった娘の表情を忘れられません。音楽が大好きになった娘。その後、誕生日プレゼントはフジコ・ヘミングのコンサート。東京交響楽団の定期演奏会へは何度も行きました。この春、娘は中学校の音楽教師になりました。(おかあさん)
非日常のプレゼント
独身時代、N響の演奏会が私の初めてのりゅーとぴあでした。そして子育てと仕事であっという間に第3子まで駆け抜け、その第3子が今年30歳で母になりました。りゅーとぴあはいつも非日常を私にプレゼントしてくれます。(匿名)
妻と2人も悪くないな
20年くらい前、りゅーとぴあか県民会館か曖昧ですが、子ども4人を連れて「ピーター・パン」を観にいきました。ピーター・パンがフライングをした時には指を差して喜んだ子どもも大人になり独立。2023年の「ピーター・パン」は妻と二人で行きました。子どもの笑顔を思い出しながら、それでもずっと隣にいる妻と二人も悪くないなと思いました。(匿名)
何もかもを投げ打っていた母
定年を迎えた母が、父を介護する毎日が数年続いていた頃のお話です。母は趣味も何もかもを投げ打って父に時間を注いでいました。サプライズで、ある公演に招待したことで他の催しにも参加するように。「自由になれる時間ができた、ありがとう」と言ってもらえました。(すずまーま)
30年後も一緒にお能を観ていられるように
2023年1月に「道成寺 赤頭」を鑑賞させて頂きました。後ろの席のご夫婦が道成寺を観るのは30年振りと話す声が。一方、私たち夫婦は初めての道成寺鑑賞。素晴らしい上演に、30年後も一緒にお能を観ていられるように健康で長生きせねばと切に思いました。(つーちゃか)
私1人でも夫との夢を叶えよう
夫婦2人とも定年退職後70才過ぎまで一生懸命働きました。これからという時に夫は5年前急病で亡くなりました。夢だったりゅーとぴあのコンサートを楽しむ事も叶わずに。それならば!私1人でも夫との夢を叶えようとりゅーとぴあの会員となり、せっせと通い続けて亡き夫と2人で公演を楽しんでいます。私が元気なうちはずーっと通い続けたいです。(匿名)
一歩足を踏み入れると母との思い出が蘇る
子供の頃、母がよく演劇やオーケストラの演奏、狂言を観に連れて行ってくれました。半分渋々付いて行っていましたが、大人になった私は演劇が好きになり、自分でチケットを買って観に行くように。母は亡くなりましたが、りゅーとぴあに一歩足を踏み入れると母との思い出が蘇ります。(まりりん)
父と母との思い出の場所
父が転勤が多く、ずっと県外で暮らしていました。父の定年で新潟市に戻り、父と母とオープンしたばかりのりゅーとぴあに来ました。屋上庭園にあがり景色を見た時、ああ、帰ってきたんだと思いました。現在2人ともいなくなったのですが、思い出の場所です。(かに)
孫娘との大切な時間
真夏の暑い日、「オーケストラはキミのともだち」に行きました。今回は小学校1年の孫娘と2人で。早く会場に行ったのは、「わたしの珈琲店」で食事をしたかったからです。孫娘はハニートーストとクリームソーダ、私はナポリタンのプレートとアイスコーヒー。ゆっくり食べてホールに入りました。
演奏は素晴らしいことは言うまでもなく、私は孫娘との大切で貴重な時間を過ごすことができました。
押し付けるのではなく、少しずつ音楽に興味を持ってもらうことを、ジイさんは願っています。また一緒に行きたいと思います。おいしい食事をしてからね。(長谷川操)
親子4代を音楽で繋ぐ
今は亡き祖母とはオーケストラ公演。母とはユンディ・リや藤田真央さんなどのピアニスト公演。今私は母となり子どもたちのにじいろ音楽祭や合唱コンクールでお邪魔しています。中学生の娘が亀井聖矢くんのファンになり、去年今年と2回リサイタルへ伺いました。素晴らしかったです。
りゅーとぴあは親子4代を音楽で繋ぐ思い出の場所です。また主宰しているピアノ教室の発表会でスタジオを利用させていただいております!これからも世界へ羽ばたく若手演奏家の演奏を沢山聴かせてください。(ayamepiano)
人生
今までのご褒美のつもりで
オープンの頃、仕事で、津川(阿賀町)から新潟に来られた方を接客しました。「来週りゅーとぴあに出かけるのに新しい洋服がほしい」と楽しそうに語られ、私もあんな風に楽しみを見つけて過ごしたいなあと思っていました。
その直後、会社を50才で退職することになり、家族の介護にあけくれた日々。時々りゅーとぴあに出かけ気分転換をしたものです。私の両親、夫の両親ともに見送り今は自分のことだけを考える日々になり、今までのご褒美のつもりで時々そちらに出かけリフレッシュしております。この25年はアッという間でした。(匿名)
開演に間に合わなかったこと
クラシック、ジャズのコンサート、演劇、能、狂言、Noismなど色々行きますので一つに絞り切れません。長岡から車で行きますので、車が故障して急に行けなくなりチケットを無駄にしたことや、高速道路が事故や大雪で渋滞し、開演に間に合わなかったことなどが忘れられません。(匿名)
親しくしていた友人が亡くなり
親しくしていた友人が亡くなり、腑抜けの様な状態だった時に、コンサートに誘われ参加して、徐々に元気になれた。大切な場所です。(匿名)
りゅーとぴあと生きるつもりだ
最後の音が消えた後、耳が痛くなるような静寂を感じたのはりゅーとぴあのホールが初めてだった。能楽堂シェイクスピア、Noism、オザワ、フジコ、羊の着ぐるみのパフォーマンス、ニナガワ、石見神楽。思い出の公演を挙げだしたらキリがない。25年間大泣きしたり笑ったりだった。この先もずっとりゅーとぴあと共に生きるつもりだ。(匿名)
私の半生はりゅーとぴあと共にある
東京からUターンして間もなくりゅーとぴあができ、東響の定期会員となりました。以来、定期演奏会には車を走らせ聴きに行っております。隣の席は最初はご夫婦で、その旦那様も亡くなり、奥様と娘様も十数年前に「今日でこの席とは最後です」とご挨拶され、今は別のご夫婦が座られています。
東響の方も最初からいらっしゃる方を見るとホッとしますし、若い方もどんどん入ってこられ、がんばれ!とエールを送りたくなります。私の人生に音楽という彩りを与えてくださったりゅーとぴあに感謝です。その感謝の気持ちをもって、またりゅーとぴあに車を走らせます。(匿名)
友だちがいないので
友だちがいないのでいつも空中庭園やら散歩してます。ずっと前に市でオーケストラの祭典があった時ボランティアで一日中入場券を確認したことがあり、いい思い出です。(きき)
自分の行動力に驚きます
観世流の「道成寺」と「市川團十郎白猿 襲名披露巡業(新潟県民会館)」があることを知り、いつもは腰の重い私がすぐに友の会会員になり、先行販売開始と同時にチケットを狙いました。あの時の行動力には自分でも驚きます。(えむ)
早朝5時から並んだ
まだインターネット予約が一般的でなかった頃、野村萬斎さんの公演(確かハムレット)の最前列を取りたくて、早朝5時にりゅーとぴあ玄関に到着。一番乗りと思いきや先客が一人いて、何と東京から前日泊で4時から並んだとの事でした。東京ではライバルが多すぎて観光がてら新潟に来たとの事。素晴らしい劇場ができたことを実感しました。(女子☆)
憧れのご夫婦
ある公演前、ホワイエでドリンクを頂いていると、とても素敵なご夫妻に「写真を撮って頂けますか?」と声をかけられました。快く引受け写真を撮りました。「お二人、とても素敵ですね」とカメラをお返しすると、はにかんだように微笑まれて、こちらまで幸せな気持ちになりました。りゅーとぴあで出会った憧れのご夫妻です。(けろ)
健常な頃
健常な頃、東京交響楽団の定期会員となり、好きなクラシックを最良席で音楽の渦の中に身をおいた歓びは、今でも身体に消えずに残って豊かにしてくれます。本当に有難う。(pasuteru)
恋
クリームソーダ
りゅーとぴあのカフェでひとつのクリームソーダを彼氏と分け合ったことです。(まめきち)
当時の彼女(現在の妻)に誘われて
学生時代は運動バカで汗を流す事しかやってこなかった私が、当時付き合っていた彼女(現在の妻)に誘われて、仕方なく生まれて初めてミュージカルを観に行きました。今では私が誘うほうになり、妻と娘の3人で観覧するのが楽しみになっています。特にAPRICOTの大ファンです。(Uジロー)
デートは白山神社からのりゅーとぴあ
仕事で都内へ何年か行って戻ってきたら素敵なりゅーとぴあができていて、建物が素敵で何度も訪れたのを覚えてます。今の主人と付き合いたての頃、デートはよく白山神社からのりゅーとぴあでした。当時は近所に住んでいたので。(Julia)
今のパパが連れていってくれた
パイプオルガンの生演奏を初めて聴いたのはりゅーとぴあ。当時お付き合いしていた、今のパパが連れていってくれました。クリスマスだったのでチケットにドリンクが一杯ついていて、休憩時間にワインを飲んだのがいい思い出です。子どもが生まれてからは一緒に動物の演奏会に行ったり。息子のコンサートデビューはりゅーとぴあです。(はるまま)
隣の席には今も彼がいます
りゅーとぴあ開館時は独身で、後に夫となる人とコンサートに来ていました。そして私たちも結婚23年目に入ろうとしています。隣の席には今も彼がいます。この度25周年記念事業のチェコ・フィルで私たちの大好きな藤田真央さんがソリストと聞いて大喜び!辛い時も幸せな時も寄り添ってくれる素敵な音楽を、これからも届けて下さい。(匿名)
夫との出会いもりゅーとぴあ
小学生の頃、りゅーとぴあのコンサートホールでピアノ独奏を弾いた時の感激は忘れられません。演奏を生業とするようになった今でも特別な場所です。夫との出会いもりゅーとぴあのお仕事でした(笑)。(匿名)
彼女の涙にドキドキ
彼女とは東響の定期演奏会で隣の席で会うことにしています。数年前、亡き飯守泰次郎さん指揮のワーグナーを聴き、楽しみにしていたプログラムでもあり感動はひとしおでした。
横を見ると彼女が涙を流していました。音楽の力はすごいなと感動すると同時に彼女の涙にドキドキしました。
これからも感動的なコンサートを楽しみにしています。(まんさん)
コロナ禍
まさに勇者でした
2020年に開催「壮大なオーケストラで聴く ドラゴンクエストの世界」が思い出に残っています。コロナ禍で沈んだ気持ちを奮い立たせて頂きました。まさに勇者でした。(のぶ)
どっと沸く大勢の笑い声に感動
2022年。コロナ禍ではありましたが少しずつ公演が増えてきた頃、柳家喬太郎さんの落語を聴きに行きました。最初から最後まで笑いっぱなし。会話は控えて下さいとありましたが、笑わないで下さいと言うのはなかったですからね(笑)。
どっと沸く大勢の笑い声に感動しました。(スナちゃん)
お隣とお会いすることも楽しみ
東響定期演奏会は、お隣の方にお会いすることも楽しみでした。演奏前後に一言二言交わすだけなのですが、とても心地よい得難い時間でした。席の更新時期になると決まって「どうされますか」と尋ねられるので、「このままでいます」と答えるとにっこりされて「私も」と。コロナが明けて、いつもの席にその方が現れることはありませんでした。りゅーとぴあで同じ音楽を分かち合った体験を胸に、また新しい出会いを密かに期待しながら定期演奏会に足を運んでいます。(匿名)
公演鑑賞
知らない学校の子どもたちに涙
わが家の子どもが小学校4年生の時に、初めて「にじいろ音楽祭」を知りました。3日間に渡り、市内の小学生がりゅーとぴあのステージに立ち、合唱、合奏をする。一流のステージで演奏する子どもたちに心揺さぶられ、自身の子どもはもちろん、知らない学校の子どもたちのパフォーマンスにも涙が流れました。長く続けて欲しい音楽祭です。(はにはに)
帰りのバスは「楽しかった!」の声
新潟市内の小学生を招待し、コンサートを体験する「わくわくキッズコンサート」。初めてのチケットテイク、プログラムをもらい自分の指定席へ。ディズニーのメロディにのせて楽器の紹介。大迫力の演奏にどの子も本当にわくわくしていました。帰りのバスの中は「楽しかった!」の声と満足気な表情。素敵な企画でした(小学校の音楽専科でした)。(匿名)
お母さん!恥ずかしいからやめて!
20年近く前になると思います。ジブリ映画の音楽を久石譲さんがオーケストラとともに演奏するコンサートに行きました。全身鳥肌の連続でした。タクトが風を切る音、久石譲さんの呼吸までが舞台演出のようで本当に素晴らしい演奏会でした。最後に私が立ち上がって拍手をしようとしたら、娘から「お母さん!恥ずかしいからやめて!」と怒られたのが未だに忘れられません(笑)。でもそれだけ感動だったんです。(らりりん)
でもお父さん、寝ていましたよね
演歌が大好きだった亡き父がオーケストラを聴きたいと言うので東京交響楽団のコンサートに一緒に行きました。
帰りに父が「もっといい席で聴きたかった」と言うのです。でもお父さん、演奏中気持ちよさそうに寝ていましたよね。(NAOKO)
もちろんそれは現在進行形
演奏会で聴いたアルゲリッチのピアノ、魂が震え心が吸い込まれるような感覚に陥った事を、昨日の事の様に思い出します。
それから、幾度となく母と通った1コイン・コンサートや落語、お能、そしてなかなか地方では鑑賞が難しかった数々の演劇の企画、いい席で観たいとチケット購入に一生懸命だった事もとても大切な思い出として胸に刻まれています。
もちろんそれは現在進行形です。(ペパーミントユッコ)
心を射抜かれた衝撃的な体験
心に残った演奏会はたくさんありますが、最初に思い浮かぶのが2014年6月7日ウィーン・カンマー・オーケストラ、ピアノ牛田智大さんの演奏会です。
初めて聴く海外オケ。軽やかで速いテンポの美しいモーツァルトに心を射抜かれた衝撃的な体験、忘れられません。そして何より当時14歳だった牛田智大さんのピアノにものすごく感動しました。
ピアノの音色に精神性が現れてこんなにも心を動かされるのだと初めてわかった貴重な体験だったのです。この演奏会に来て本当に良かったと余韻に浸りながら帰ったのを覚えています。(金澤比奈子)
プレミアムな初体験
大晦日は主婦にとって最も忙しい日。ジルベスター・コンサートは高嶺の花と思っていましたが、主婦の座の交代で2012年に初めて出掛けました。終演後、昂奮冷めやらぬままホテルに戻り、先客のいるエレベータに乗り込んでお顔を拝見すると今夜の指揮者、秋山和慶氏。コンサートのお礼を述べ、「佳き新年を…」と。プレミアムな初体験でした。(匿名)
泣いておられた方も
東日本大震災後すぐのラ・フォル・ジュルネの、仙台フィルの演奏。あんなに熱く心が籠った演奏を知りません。思わず泣いてしまいました。
復興支援への感謝の気持ちや、様々な想いが伝わってきました。演奏者の中にも泣いておられる方もいらっしゃいました。良いものを聴いたと心から思いました。(みこ)
日本文化に目を向けるきっかけ
能楽堂で初めてみた狂言は、野村萬斎の蝸牛(かぎゅう)でした。笑いが止まらず、演劇やコンサート以外にも世界が広がり、日本文化の良さに目を向けるきっかけとなりました。(シマシマ)
焦りながら階段を登り降りした思い出
私にとってりゅーとぴあは落語の公演で年間10回以上お邪魔しているホームグランドとも言える大切な存在です。新潟虹色寄席はコロナ禍以降開催されていませんが、私が参加した6回の公演いずれも記憶に残っています。
能楽堂と劇場を会場に落語家も観客も上へ下へ移動し、一つの会場に腰を据えてもよし、贔屓の落語家を追っかけてもよしと年毎に色々な楽しみ方ができました。再開され、また上へ下へ階段を登り降りしてみたいと思っています。開催されなくなってから4、5年経ち、キツくなっているかもしれませんが、焦りながら階段を登り降りしたのは楽しい思い出です。(リポさん)
私を演劇沼に誘い続ける
演劇集団キャラメルボックス1998クリスマスツアー新潟公演『マイ・ベル -My Belle-』は衝撃的でした。今まで知らなかった生の舞台を観る素晴らしさを教えてくれた作品です。
その後もりゅーとぴあは私を演劇沼に誘い続け、何回か参加したワークショップもいつも楽しく、舞台に立つ魅力、作る魅力もほんの少しだけれど経験させてもらいました。
東京の大小の劇場に通うようになった今でも、最高の劇場はりゅーとぴあだと本気で思っています!(TOMO)
出演体験
人生で初めてドレスを着ておめかし
初めてりゅーとぴあで演奏したのは小学四年生のときでした。ピアノのコンクールの本選で、ショスタコーヴィチの「人形の舞曲」を演奏しました。人生で初めてドレスを着ておめかしして舞台にあがったことが一生の思い出です!(みゆう)
全員が本気で挑みました
中学3年生の夏、最後の吹奏楽県大会をここで演奏しました。全員が本気で練習をして挑みました。最終的に結果は伴いませんでしたが、悔いのない演奏ができました。(匿名)
仲間と気持ちをひとつにできた
中学一年生の時に合唱部に入部し、夏の大会(Nコン)に向けて毎日練習をしていました。第一関門である地区大会で金賞をいただき、県大会への切符を掴むことができました。そしてりゅーとぴあで行われた県大会。惜しくも銀賞で先に進むことはできなかったけど、先輩や先生方、仲間と気持ちをひとつにしたことが思い出に残っています。(るま)
中学生の頃にタイムトリップ
中学生の頃、吹奏楽部で度々お世話になりました。合同演奏会で他校の生徒と会えるのがとても楽しみでした。演奏した後にパイプオルガンの演奏で市民歌『ふるさと』を歌ったのが印象深いです。りゅーとぴあに足を踏み入れると何度でも中学生のあの頃にタイムトリップできます。(あつあつおなべ)
音楽って楽しい!が忘れられません
高校生の時に新潟市内の中学校・高校で合同演奏会を開催し、3年連続演奏者として参加しました。人生の初舞台がりゅーとぴあでした。総勢300人を超える人数での演奏、あの時の楽しさと感動と、音楽って楽しい!という感情は今でも忘れられません。(あっちゃん)
ピカピカのりゅーとぴあで
2000年3月、ピカピカのりゅーとぴあで大学の卒業演奏会で出演しました。ステージに立つと自分が会場の真ん中にいる感覚!ピアノの響きが本当に気持ちよく、楽しく演奏することができました。アーティストが「大好きな会場」と仰るたびに、うんうんそうだよねと嬉しくなります。(匿名)
毎日ベランダから「あそこで歌ったんだなぁ」
子どもの中学校の音楽会が毎年りゅーとぴあで開催されました。先生と親たち有志編成の組に参加させて頂き、毎年ゴスペルやコブクロなど歌ったことが良い思い出です。毎日ベランダからりゅーとぴあを見ながら、あそこで歌ったんだなぁと今でも思います。(川口直美)
仕事や子育てをやりくりし最後までやりきった
新潟に新しい会館ができると知って、オープニング記念のミュージカルのオーディションを受けました。ワークショップも含めて135回もの稽古があり、充実した気分で緊張の本番を迎えました。子どもたちも含めて大所帯で厳しい練習をくぐり抜けた貴重な経験でした。仕事や子育てをやりくりしながらも最後までやりきったことは誇りに思います。(Lovieさん)
りゅーとぴあへの思い
夜の街に浮かぶ宇宙船のような建物
進学のために新潟市へ引っ越してきた時、近くのアパートに住む友だちと色々なことを語り合いながらやすらぎ堤を歩いていると、地元では見かけない、都会的で、夜の街に浮かぶ宇宙船のような佇まいの建物にたどり着きました。
ライトアップされていてとても美しく、お気に入りの場所になったので、その後も時々夜の散歩をしに行っていました。
大人になった今は、コンサートやランチを楽しむために足を運んでいますが、かつて友だちと語り合った夜のりゅーとぴあの姿がずっと心に残っています。(たま)
前衛的な建物に昼も夜もときめいて
県外出身の私が進学で新潟に来たのが25年前。りゅーとぴあが完成した年でした。住んでいた白山が近かったため、近くを通るたび、神社に寄るたび、散歩したりお茶したり、都会的で前衛的な建物に昼も夜もときめいていました。
観劇も大好きでしたが、学生の身には高額で、本格的に舞台や公演を体験したのは就職した後でした。当時、劇バカという企画で、憧れ続けた市村正親さんと藤原竜也さんの2人芝居を観られたことが思い出深いです。
能舞台や落語、コンサートをこんなに近くで気軽に足を運ぶことができる環境が本当にありがたいです。(匿名)
新潟市の誇る建築物
初めて空中庭園を歩いたときは、信濃川と空がつながる空間を目の当たりにして建築の素晴らしさに感動しました。それから建築の大学進学にあたり好きな建築物として課題提出して無事に進学できました。建築を学び改めて建物の中や外を楽しむことができ、ディテールや空間の作り方を勉強させていただきました。
大人になり新潟に戻ってきてから定期的に散歩に来ております。特に桜の季節は上からみる桜並木、水盤に映る桜をみるのがとっても好きです。新潟市の誇る建築物であり思い出の場所です。(匿名)
夕陽がとても綺麗だったことを思い出す
新潟市に結婚を機に引っ越してきてから早九年になります。土地勘もない頃やすらぎ堤のあたりや古町を散歩して過ごしていました。ふと立ち寄ったりゅーとぴあ。外から見ると建物が特徴的で、屋上から外に出られることがわかり出てみました。信濃川や街並みを見渡すことができ、きれいなお花も咲いていて、夕陽がとても綺麗だったことを思い出します。
昨年子どもが生まれ、今は親子でりゅーとぴあのイベントやカフェ、施設利用をさせていただいております。わたしの珈琲店はベビーカーでも入りやすく、子連れでも行きやすいのでお気に入りです。(匿名)
新潟市が大好きになりました
娘が、県外より新潟の大学に入学して間もなく、りゅーとぴあでのピアノ・リサイタルに行き、感動。新潟市が大好きになりました。娘の住まいから大変近いので、新潟に来た時には散歩コースにもなっています。癒しスポットと心満たされるコンサート会場は、今ではとても大切です。(匿名)
そこで働く方々の大ファンでもある
中学の職業体験で企画課の方にお世話になりました。感動を作る舞台裏を、時に真剣に、時に茶目っけたっぷりに教えていただきました。それ以来、りゅーとぴあの企画だけではなくそこで働く方々の大ファンでもあります。(キャロライン8号)
Noism Company Niigata
頭の中に感嘆符(!)が次々と
初めてNoismを見た時の衝撃を今でもはっきりと覚えています。スタジオの最前列でダンサーの息遣いやシューズの床に擦れる「キュッ、キュッ」という音を聞きながら、その迫力に恐怖さえ覚える中で、異次元の世界へ導かれました。
「こんな凄い芸術が、東京ではなく地元新潟で観ることができるんだ!」頭の中に感嘆符(!)がついたワードが次から次へと浮かびました。それ以来Noismの熱狂的な隠れファンとなりました。
芸術が、こんなにも人の心に感動と、生きる歓びを届けてくれる。その凄みを知った私はりゅーとぴあに通い続けて、たくさんの芸術の恩恵を頂いています。(匿名)
すごい人がいるんだなぁー
中学生の頃に金森穣さんがNHKトップランナーに出演しており「こんなすごい人がいるんだなぁー」と思っていたら、新潟に来てくれるとのことでびっくり!観覧の際は異世界へ飛び込む気持ちで毎回楽しませていただいています!(たま)
私の人生は一変しました
パフォーミングアーツとは縁がなかった私でしたが、Noismとの出会いで人生は一変しました。大袈裟でも何でもなく。これからも新たな感動を求めて足を運びます。(しもしん)
なんてラッキーなんだ
Uターンで新潟に戻った時期にNoismが発足。なんてラッキーなんだと思ったことが一番目。現在までNoism公演はほぼ全演目見ています。
二番目は子どもがAPRICOTに参加させていただいた期間。仕事を終えて毎日通ったことも…。今でも親子で歌えます(笑)。
最近ではりゅーとぴあに行くこともなければ橋を渡る機会もないなぁというところでしょうか。(かとう)
新潟市に住む幸せ
初めてりゅーとぴあを訪れたのは、蜷川幸雄さんのペリクリーズでした。育児が一息つき、憧れの内野聖陽が主演の舞台を観に行ったのです。憧れの方の迫力ある舞台に、目がハートになっていたそうです。
それから「家なき子」。そこで観た金森穣さんに魅了され、今までずっとNoismを追いかけてきました。私にとって、新潟市に住む幸せはりゅーとぴあとともにあります。
劇場だけでなく、コンサートホール、能楽堂にも沢山通いました。これからも楽しく通いたいと思います。(waonママ)
パイプオルガン
生まれて初めて聴く音色に興奮
りゅーとぴあが開館して間もない頃、職場でコーラスをやっている方が出演するコンサートで初めてりゅーとぴあに行きました。新潟にもオーケストラが演奏できるホールができたんだと感激したものです。またコンサートのオープニングがパイプオルガンの演奏で、生まれて初めて聴く音色に興奮が止まらなかったのを覚えています。荘厳でこの世とは思えない素晴らしい音色が天から降り注いで、もう鳥肌モノでした。
それからパイプオルガンの虜になり、今は定期的にオルガンのコンサートに行っています。新潟でパイプオルガンが聴けるのは本当に有り難いことです。専属オルガニストの公演はもちろんですが、海外の方の演奏も聴きたいです。(miel)
一番の思い出は山本真希さん
私の一番の思い出は、山本真希さん(三代目専属オルガニスト)によるパイプオルガンの勉強会に参加する機会に恵まれたことです。音の鳴る仕組みや、4843本もあるというパイプの説明、また、裏に回って送風機なども見せていただき、ただただ感動したことを覚えています。
ほんの少し知識を得たことで、パイプオルガンのコンサートがますます楽しみになっています。(白勢秀雄)
パイプオルガンとともに結婚式を挙げた
伊勢丹のブライダル企画に応募したところ、りゅーとぴあで結婚式を挙げることができました。普通では味わえないパイプオルガンの音色。ホールの階段で互いの家族と友人達と一緒に撮った写真。とても素敵な思い出です。(kinoko)
オルガンと案内のお姉さんが好きになりました
案内のお姉さんに「オルガンの魅力が味わえる席はどこが良いですか?」と聞きました。おすすめの席で聴きました。オルガンと案内のお姉さんが好きになりました。(プクちゃん)
ジュニア音楽教室/APRICOT
※APRICOT…りゅーとぴあ演劇スタジオ キッズ・コース
全て素敵な思い出
ジュニアオーケストラ教室の団員として6年間活動し、何度もりゅーとぴあのステージで演奏をさせていただきました。楽しかった出来事も、苦しかった出来事も、全て素敵な思い出として残っています。今では見る側として定期的に通い、こんなに広く素敵な会場で演奏をできたことがどれほど貴重な経験だったのか、改めて感じる良い機会になっています。(匿名)
少しずつ恩返しできたらいいな!
新潟市ジュニアオーケストラ教室に小学四年生から高校3年生まで所属していました。ジュニオケで始めたトランペットは今でも生活の一部ですし、ジュニオケで過ごした8年半と出会った人たちは一生の宝物です。楽しかったことも辛かったことも、たくさんの思い出がりゅーとぴあと共にあります。お世話になった分、少しずつ恩返しできたらいいな!(佐藤瞭)
間違えたらどうしよう
息子が小学4年生からジュニアオーケストラに入り、卒団まで毎年演奏会を聴きに行っていました。娘はジュニア合唱団に入り、兄妹共演も楽しみました。毎回間違えたらどうしようとドキドキしながら聴いたことを思い出します。(ちゃーこ)
毎年レベルアップしていく
りゅーとぴあに足を運ぶようになったのは、新潟市ジュニアオーケストラ教室・新潟市ジュニア合唱団の定期演奏会のポスターを見かけたのがきっかけでした。もう15年ほど通っているでしょうか。ジュニア合唱団は毎年レベルアップしていくので楽しみにしています。その縁でしょうか。10年ほど前から、自身も合唱に参加しています。(D404ME)
数々の思い出をいただきました
娘が小2よりジュニア合唱団でお世話になりました。ある時はオルガンとのコラボだったり、東京交響楽団との共演をさせていただいたり、数々の思い出をいただきました。
また、Noismの公演や1コイン・コンサート、そして能楽堂での「能楽師に聞く 能の楽しみ」など、いろいろなジャンルで楽しませていただいています。(sauter)
娘の堂々とした姿
小学4年生になった娘の初舞台。APRICOTのメンバーになったばかりで、きっと初舞台は緊張してしまうだろうと想像していましたが、実際には、娘の堂々とした姿にとても驚かされました。(ゆうかの父)