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能「通小町」の見どころ

 11月19日(土)開催「秋の能楽鑑賞会(観世流)」における能「通小町」の見どころについて、新潟市在住の作家・敷村良子さんにご紹介いただきました。

能「通小町」の見どころの画像

つっこ見「通小町」    

 小野小町に恋をした深草少将(シテ)は、小野小町(ワキ)に「百夜(ももよ)通えば会う=結婚する」と言われたと思いこみ、雪にも雨にもめげず通い、いよいよ願いのかなう百日目の途上、死んでしまいました。時を経て小野小町も亡くなり、死後の世界。成仏できないで迷う深草少将は、成仏しようとする小野小町をはばむのでした。恋に狂う男の妄執が、限りなく切なく、舞台上に立ち現われ、深草少将の悲壮かつ鬼気迫る姿は、今を生きる私たちの感情をゆさぶります。

*詳しい演目の解説は、ぜひ下記動画をご参照ください。
本公演で、シテの深草少将を勤める、能楽師の中村裕師による解説
≪梅若研能会YouTubeチャンネル≫
能「通小町」の楽しみ方 見どころ・あらすじ解説講座
講師:中村裕

 

●前半の見どころ①:何種類の木の実が見つかるでしょうか?
 前半は秋の風情たっぷり。寺にこもり、禅の修行に励む僧の元へ通ってくる謎の女。「あなたはどなたですか」と僧に問われ、「この身」とかけて「木(こ)の実」を雅やかに数え上げていきます。木の実づくしの謡の中で、柿本人麻呂の柿、山部赤人の栗、さて何個の木の実が見つかるでしょう?

●前半の見どころ②:「あなめ」といえばあの女性
 女は市原野あたりに住んでいる姥(老女)、小野小町らしいことをほのめかします。この場面で印象的な「あなめ」とは穴目、髑髏の目の穴。このキーワードで、この能ができた当時の人は「秋風の吹くにつけてもあなめあなめ小野とはいはじ薄生いけり」という歌を連想したはずです。「ガイコツの目の穴から薄が生え、秋風が吹いて痛い」という、ちょっとホラーな意味。この演目の元となった物語は、仏教の戒律を広める僧が説教として語っていたので、若い頃いくらきれいでも傲慢にふるまってはいけませんよ、年とったら報いがきますよ、という教えがこめられています。美女も老いれば醜くなり落ちぶれるという考えは大陸から伝来したもの。これも僧が創作した『玉造小町子壮衰書』という漢詩から、いつのまにか小野小町の話となり、晩年、老いさらばえ、世話をする人もなく、放浪し、死んだ後は野ざらしになったと信じられるようになりました。

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●後半の見どころ①:「煩悩の犬」
 深草の少将の詞章はど迫力です。「二人見るだに悲しきに、御身一人仏道成らばわが思ひ、重きが上の小夜衣、重ねて憂き目を三瀬川に、沈み果てなば」(ふたりで迷っていてもさみしいのに、あなたがひとりで成仏したら、とりのこされてひとりで迷う私は、思いの重さに、三途の川の底に沈んでしまう。)さらには「煩悩の犬」になって叩かれても離れんぞと言い張ります。詞章だけ読むと壮絶ですが、能のマジックで、舞台の深草の少将はただただ哀れで、胸にせまります。

●後半の見どころ②:「百夜通い」
 クライマックスは、深草少将が再現する百夜通い。通うたびに牛車の道具につけた傷を指折り数える所作など、思いの深さ、無念さが表現されます。

 百夜通いもまた、小野小町伝説のひとつで、その元は「みるめなきわが身をうらと知らねばや離(か)れなで海人の足たゆくくる」という古今和歌集六二三の歌。みるめ(海松布という海藻=見よう会おうという気持ち)が生えていない浦のように、私はあなたに会う気がないことをご存じないのですね、あなたは浜に通うみるめ取りの人のように、足がたゆくくる(だるくなる)まで毎夜熱心に通っていらっしゃることよ、という、なんともつれない意味。この歌からふくらんだ物語が『伊勢物語』25「逢はで寝る夜」。ある男が思いを寄せた、まったく会ってくれる気のない女からの歌として引用されました。そしてこの話の女もまた、いつのまにか小野小町ということになって広まりました。

 京都府左京区静市市原町の補陀洛寺(ふだらくじ)は小野小町の亡くなった地、「通小町」の舞台とされています。また、伏見区西桝屋町の欣浄寺(ごんじょうじ)は深草少将の邸宅跡といわれ、少将と小町の墓(全国各地にあるもののひとつ)や少将の通い道もあり、この道を訴訟ごとのある人が通ると負けると言われたそうです。また、河原町二条の法雲寺境内にある菊野大明神は、深草少将が百夜通いの時に腰掛けた石がご神体とされ、お参りすると悪縁が切れるとか。

 今でもドラマのモデルを探したりしますが、昔から、人々は、物語のモデルを探し、聖地を現実にここだと想定したり、イメージをふくらませたのでしょう。

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●小野小町について
 「町」は宮中に仕える女官が控えていたところ。そこから身分の低い女官のことをさすようになりました。
 小野小町が、誰の子か、どんな身分だったのか、いつどこで生まれたのか、諸説あり、はっきりしません。実在の人物ではないという説まであります。
 紀貫之が『古今和歌集』仮名序で、小野小町の歌を高く評価し、「いにしへの衣通姫の流なり」と書き残しました。衣通(そとおり)は、衣を通って美がにじみ出るほどきれいという意味。本来は小野小町の歌が衣通姫の万葉集の歌と共通するという評ですが、小野小町の容姿も衣通姫ばりの美人ということになりました。

●つっこ見のおとも
 「通小町」の収録された能の謡曲集が各種あります。詞章と現代語訳、言葉の解説を読んでおくと、公演の当日に舞台に集中でき、味わいが深くなります。りゅーとぴあでは、初めて能を見る方のための講座のほか、当日、字幕タブレットの貸し出し(500円)もあります。

参考文献:『新編日本古典文学全集59謡曲集2』『同11古今和歌集』(小学館)、天野文雄『能楽名作選上』(角川書店)、片桐洋一『小野小町追跡』(笠間書院)など

敷村良子(物書き)

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