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「聞こえる人、聞こえない人それぞれにとっても能の可能性が広がる公演です」能楽師・大島輝久さんインタビュー(後編)

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12月8日(日)「手話で楽しむ 能狂言鑑賞会」について、「手話能」の創作の中心になって取り組んできた喜多流能楽師の大島輝久さんのインタビュー。後編では、手話能の創作についてお話を伺いました。

大島 輝久 (おおしま てるひさ)
シテ方喜多流能楽師。1976年生。100年以上の歴史を持つ喜多流大島能楽堂(広島県福山市)を受け継ぐ大島家5代目。祖父・久見、父・政允、塩津哲生に師事。3歳の初舞台以降、国内外の多くの能楽公演に出演し活躍する一方で、英語能や手話能、VR能・3D能といった画期的な公演への出演や企画制作など、能の新たな可能性を探る活動も積極的に行っている。重要無形文化財総合認定(能楽)。

 

手話も能も、感情を「型」で表現するのが共通している

――手話能での演技について教えてください。

能には型という全てきちんと決められた動きがあるのですが、実は手話能でもそれらは変えることなく全てやっています。型や動きは、役者が謡を謡っていない時にすることが多く、逆に謡を謡っている時は動きが止まっていることが多い。その動きが止まっていたところに手話を入れるので、従来ある型を省略しなくてもいいんです。型を崩しているのではなく、型が増えた能をやっているという意識です。

――手話も型の一部になっている感じでしょうか。

私が今まで携わった能のコラボレーションの中で、一番違和感なくできるのが手話とのコラボレーションだと感じています。手話も能の型も、人間の気持ちや伝えたい表現を一つの様式に落とし込むことが共通しているからだと思います。
例えば、能では、手を顔の前に掲げて目を覆う「シオリ」という泣く所作があります。これを小学生のワークショップで、何をしているとことか聞くと、「まぶしい」とか「恥ずかしい」と言う子もいます。それは全くおかしなことではないのですが、能ではこれを悲しみの表現と決めていて、それを分かって観ていただくことによって〝この役はいま悲しんでいる〞ということが共有できるのです。手話を習った時に、能の型ができる過程と同じ立脚点だから、親和性が高いと気付きました。

手話によって、台詞や謡を立体的に見ることができる

――能の手話の創作について教えてください。

手話は、日本ろう者劇団代表の江副悟史さんに作っていただきました。江副さんに唯一お願いしたのは、手話が突出して見えないよう、能の型に見えるような手話を作ってほしいということでしたが、能の型に合い、かつ一つ一つの意味がイメージとして伝わる手話を作ってくださいました。
能には一つの言葉に二重の意味がある掛詞のような表現がよく出てきます。「土蜘蛛」では、虫の蜘蛛と空の雲と二つ「クモ」の掛詞が出てくる場面で、江副さんは、虫の蜘蛛を表す手話をしながら掲げて空の雲の手話に繋げ、蜘蛛と雲が同時に表現できる手話を作ってくださいました。掛詞を手話として昇華させる、その能力の高さに驚きました。

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――他の謡もどのように手話で表現されているか楽しみです。

能の謡は、耳の聞こえる方でも一回ではなかなか聞き取るのは難しいと思います。今回は謡を知らない人でも、手話によって役者の台詞や謡を立体的に見ることができます。コンセプトにしている「聞こえる人も、聞こえない人も同時に楽しんでいただける能」というのが、実現できるのではないかと思っています。

育てていただいた新潟の皆さんにぜひ観ていただきたい

――最後に新潟のお客様へメッセージをお願いします。

りゅーとぴあ能楽堂の設備は全国屈指で、本当に素晴らしい能楽堂です。観客の方々には若手だった時期から見てくださっていて、新潟の皆さんに育てていただいた思いがあります。
また、伝統芸能は決められたことを踏襲するイメージもあるかもしれませんが、常に現代と照らし合わせながら、様々なチャレンジをしています。そのチャレンジの中でも、この手話能は大きな可能性を持っていると思います。伝統芸能の一つの可能性を、ぜひご覧いただきたいと思っています。

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