サクラ日記(啓蟄)
厳しい寒さが緩み始めたと思っていたら、もう春の兆しを感じます。気温が上がる日は桜の開花がどんどん早まる気がして落ち着きません。果たして、4月12日、13日の天空のお花見会のとき、桜は咲いているのでしょうか。
さて、今は卒業式シーズン、そして新年度の準備が始まる時期になりました。慌ただしくお過ごしの方もいらっしゃるでしょう。別れの時期でもあり、見送る側としては何とも言えない寂しい気持ちです。当然、見送られる側も同じ気持ちでしょう。思い返せば、楽しい思い出、嬉しい思い出、笑ったこと、頑張ったこと、色々あるものです。今日の日記は、写真を交えながら昔を振り返りたいと思います。
2002年春の白山公園
中央に移っているのは我が子です。当時、カメラ付き携帯電話は持っておらず、子どもの成長を記録するのはビデオカメラでした。仕事の休日に我が子を連れて白山公園に遊びにきて私を追いかけてくる子どもを撮影しました。周りを見渡すと、お花見をしているのはおひとりさまや少人数グループで、団体で宴会をするような人は見かけませんでした。
2020年春
先ほどの写真と撮影の向きが異なりますが写っているのは同じ桜です。そして、この写真を撮影したのは2002年の写真に写っていた我が子です。パンデミックが始まった時期なのでお花見をする人は見かけませんでしたが、コロナ禍前においてはグループがブルーシートを広げてお花見で盛り上がる様子があちこちで見られました。私にとっての4月は新年度の仕事に追われる時期なので、楽しそうな光景をいつもうらやましく眺めていました。
2002年の写真と2020年の写真、この2つの写真の間にある時間の長さは、かつてのか細い桜が春爛漫を象徴する立派な姿に生長するまでの時間であり、ヨチヨチ歩きの子どもが独立するまでの時間の長さであります。
今日はりゅーとぴあが開館してからちょうど8900日。りゅーとぴあ開館年に生まれた子は24歳、りゅーとぴあ開館の時に25歳だった若者はアラフィフ(50歳の手前)になりました。この長い期間、りゅーとぴあの公演を企画してきた職員がいます。アンテナを張って最新の情報を収集し、頭を捻り知恵を絞り、関係者と交渉し、企画を通して、チケットを販売し、出演者のリハーサルや会場設営を準備し、お客さまをお迎えして、幕が上がり公演が始まる・・・という一連の流れを何度も何度も行い、自然災害で公演開催が危ぶまれた時も、予算が厳しい状況でも、困難な局面ほどエネルギーが満ち溢れて本領を発揮する、そんな職員です。ちょうど最近、倉庫や事務室を大掃除していますが、出てくる昔のチラシや資料が膨大な中、一つ一つ眺めていると企画した職員の顔が思い浮かびます。そして8900日に及ぶ時の長さを感じます・・・と、そんなことをしていると片付かないので作業するときは無心にやります。相当な量なので今もなお倉庫の大掃除は続いています。職員総動員でやっていますので桜が咲く前には完了するでしょう。
話を戻します。入学と卒業、企画の発案と完成、開演と終演、そして花が咲くときと散るとき、これらの節目には喜怒哀楽、様々な感情が沸き上がります。それから、ひとつピリオドを打つとき、それは次の舞台の始まりでもあります。一日の終わりが次の日の始まりであるように。
明日のりゅーとぴあ
日日の積み重ねで気が付いたら8900日も経っていました。開館した日がちょっとの前のこと…8900日間が一瞬のように感じるのは、たくさんの思い出があることと正反対の感覚なので不思議なものです。激動の時代、これからも思いもよらない出来事があるでしょう。しかし、どんな状況になろうとも、りゅーとぴあと桜は存在し続けます。建築は老朽化します、桜は開花や落葉して物質的な変化はあります。それでも、りゅーとぴあと桜は本質的には変わることなく不変です。
この春、新潟やりゅーとぴあを離れる人へ伝えたい、「りゅーとぴあと桜はあなたの帰りを待っています」と。それと、もうひとつ。今度は桜の下で宴を開きたいですね。
お知らせ
”天空のお花見会in能楽堂”を4月12日、13日に開催します。
詳細はこちらをご覧ください。
令和5年啓蟄
イベント担当 石川尚朋