25年が過ぎて見つけた25の話 #2~#5
今日のお話は、〜ロゴマークに込められた深い意味とは~ の続きになりますが、前置きとして、平成4年のコンペ(公開提案競技)の話から始めます。この頃、私は在籍していませんでしたので、全て人づての話になりますが、とにかく建築業界では話題のコンペだったそうです。コンペの要項は、2,000人収容のコンサートホール、それから劇場と能楽堂の建築設計、そして公園を整備するという内容で、1等の作品は実際に設計できるというものでした。審査の結果、1等を獲得したのが長谷川逸子・建築計画工房で、それが今あるりゅーとぴあ、空中庭園そして白山公園駐車場になっています。
以下は、建設時、長谷川逸子・建築計画工房にお勤めだった比嘉武彦さん(現在はkw+hg architects代表)から伺った内容です。当時、比嘉さんは設計と工事監理に携わり、更地の状態から建物が完成するまで、一番間近で見てきました。
「コンペの構想を練るため新潟を訪れ、高いところから敷地を見下せる日本海タワーに行きました。」
日本海タワー(平成26年で営業終了)
「新潟そのものが海と川に囲まれた大きな浮島のように見えました。その光景を見て、なぜか芸能のはじまりの物語を思い出しました。その昔、川原は誰の所有でもない無主の土地でした。そこに市が立ち、多種多様な人々が集まったと言われています。そんな中にいつしか芝居小屋が立ち並ぶようになり、やがてそこから能や歌舞伎が生まれたと言われています。信濃川の歴史を調べてみると、信濃川の河口には常に大小たくさんの中州があったことが分かりました。ここからインスピレーションを得て、設計の基本構想ができたといってもいいと思います。浮島の群れは舞台でもあり客席でもあり、お互いに入れ替わったり、自由で創造的な舞台芸術の空間をイメージしています。」
新潟湊絵図(天保5年) 新潟市歴史博物館所蔵
「ロゴマークはそういった設計の考え方が盛り込まれた形になっています。大小7つの楕円形は、建物と空中庭園が集まったイメージを表していて、同時にかつて信濃川に浮かんでいた中州の群れ、つまりは信濃川の河口の街として発展してきた新潟の歴史をも思わせるものになっています。」
25年が過ぎて見つけた25の話 #2 ロゴマークはりゅーとぴあと6つの空中庭園であり、かつて信濃川にあった中州を表している。これらの着想は、比嘉さんが見た「現在の新潟島」の光景と、「かつての京都河原町で育まれた文化」からインスパイアされた。
コンペの話に戻りますが、300を超える応募があり、体育館にズラーっと並んだ作品を故黒川紀章さん(審査委員長)が歩きながら見て回った、と昔の上司から聞いたことがあります。そんなビッグプロジェクトだから苦労は多かったのでしょうね。
「コンサートホールの設計は、相当の熱意を注ぎました。六畳くらいの大きな模型をくって、音響実験をしたり、数センチ単位で形を変えたり、なんとしてもいい音のホールをつくるぞという大きなプレッシャーの中で、細かい調整を繰り返しました。あるとき、最終的なホールのかたちを描いて眺めたときに、「これでいける」とみなが微笑む瞬間があったことをよく覚えています。客席の形も、外の空中庭園と同じように、浮島が集まったものとしてデザインされています。それからコンサートホールを囲う赤い壁はヴァイオリンのケースをイメージしています。」
コンサートホール客席
コンサートホール壁面
これまた初耳の話題!
コンサートホールの音響は多くのアーティスト、お客様から高い評価をいただいています。
25年が過ぎて見つけた25の話 #3 コンサートホールの音響設計は六畳サイズの模型を作って実験をした。
25年が過ぎて見つけた25の話 #4 コンサートホールの客席は浮島の形、壁はヴァイオリンケースを表現した。
りゅーとぴあの特徴であるガラス張りに関するエピソードはありますか。
「2階のロビーとホワイエは、いちばん大きな浮島、空中庭園としてイメージしています。大きなガラスの面で包まれているのは、それができるだけ屋外とつながったような環境をつくり出すためです。信濃川の川原から空中庭園を経てロビーに連なる流れをつくろうということですね。」
なるほど!建物の形が島を表しているだけでなく、屋内も島の空間になっている、とも解釈できますね。
「実はずっと思い描いていたイメージがありまして。川原の土手でいつもヴァイオリンの練習をしている少女が、たまたまコンサートホールのロビーに迷い込んで、扉が開いていたのですーっと入ってみると、舞台の上ですさまじいまでに感動的な音を奏でる世界的なヴァイオリストが練習している場面に出会ってしまい、自分もプロとして活躍することを決意するという話です。後年彼女は思いがかなってプロの音楽家となり、ある日りゅーとぴあの舞台に立つ。まったく架空の妄想ですけれど(笑)。コンサートホールの客席は浮島のイメージだと言いましたが、あの勾配がある客席は川原の土手みたいなものとしてもイメージされているわけですね。」
25年が過ぎて見つけた25の話 #5 2階共通ロビーは公園の延長のような空間。
比嘉さんは、クライアントにあたる新潟市役所の職員のことを「柔軟性があって素敵なチームでした。あの方々でなければこのような形で成し遂げられなかったと思います」と仰いました。印象深かった職員のお名前を聞いて私も懐かしく、久しぶりにお会いしたいなと思いました。そして、JIA25年賞の報告、比嘉さんから聞いたことも話したいです。
おわり