25年が過ぎて見つけた25の話 #13, #14
10月22日で開館26周年になりました。四半世紀経った今も、この連載でご登場いただいた方々は、当時を鮮明に覚えていらっしゃることに驚きます。13話目となる今回は、全25話の折り返し地点になります。後半はりゅーとぴあで実施している事業に焦点を当てたい。そう思ったとき、新潟市音楽文化会館(音文)とりゅーとぴあに長年お勤めになった”寺田先生”の言葉はぜひ残しておきたいと思いました。2021年春まで、りゅーとぴあにお勤めされた寺田尚弘さん。私自身は“寺田さん”と呼んでいますが、”寺田先生”と呼ぶ方が結構いらっしゃいます。先生と呼ばれる所以も今回インタビューで知りました。
今回のインタビューでは、りゅーとぴあ開館よりさらに過去へ遡り、新潟市ジュニアオーケストラ教室のことを伺います。
(りゅーとぴあホームページより)
公民館で活動した時期から数えて半世紀以上続いているのですね。今日は、オケが所有している楽器に焦点を当てながら、この歴史についてお話を伺います。
寺田さんのキャリアの始まりはジュニアオーケストラ教室だったのですか。
「音文勤務を命ぜられたのは 1983年の4月のことで、ジュニアオーケストラ教室の運営と一部指導もやってくれ、ということでした。」
だから先生と呼ばれていたのですね。ジュニアオーケストラ教室の活動の拠点である音楽文化会館が改修工事で休館ということで、楽器をりゅーとぴあで保管していますがすごい数ですね。
「オーケストラでは多種の楽器を必要とするので、楽器整備計画を作成し、楽器の購入や修理に当てる予算を付けてもらいました。オーケストラの編成上必要な楽器を計画的に購入し、また耐用年数を超えたものについては順次買い替えていくことで、演奏活動に支障が出ないよう調整していました。」
一番高価な楽器は何ですか。
「ハープですね。あのハープを買うときは大変でしたね。」
予算が足りないってことですか。
「そうそうそう。かなり高価な楽器だったので年間予算をオーバーしていて・・・。演奏レベルが上がってくると、演奏曲にハープを使うものが多くなり市内の演奏団体からお借りしていたんですが、運搬などの負担が大きくて。その頃、他都市のジュニアオーケストラと交流を始め、相互交流の演奏会を開催すると、他の団体は皆ハープを持っているんですよ。でも新潟だけ持ってない。そこで市の財政課に掛け合って何とか予算を付けてもらいました!」
今はもっと高価になっているでしょうから、そのときに買えてよかったですね。
25年が過ぎて見つけた25の話 #13 ジュニアオーケストラ教室がまだハープを所有していなかった頃、他都市のジュニアオーケストラは皆ハープを持っていたので購入予算を財政課に掛け合った。
りゅーとぴあにはたくさんの楽器がありますが、音文はそれ以上にありますよね。
「音文では一般の利用者が練習時に使用できる貸し出し用楽器も用意しているので、利用状況に合わせてこちらも徐々に増やしてきました。なので全国の公共ホールの中でも保有楽器の種類や数は一番多いんじゃないかなと思っています。」
言われてみれば打楽器を置いてある文化会館は他に見当たらないですね。
「ただいろいろ問題も。雑な扱い方により楽器を破損してしまうことがありました。対策として、ジュニアオーケストラ教室の指導者を講師に『貸し出し楽器取扱い方講習会』を実施しました。楽器庫からのマリンバの出し方や仕舞い方、ティンパニやスネアドラムのチューニング方法など、楽器の基礎的な取り扱い方を理解してもらうことで、いつも最良の状態で貸し出しできるよう、利用者の意識改革を行いました。」
音文の職員が音響設備や舞台照明の講習会やっていたことを昔の新潟市音楽芸能協会の会報誌で読みました。職員が講習会を行うのはいろいろな分野で行っていたようですね。
「設備や楽器のことを知らない市民も多かったので、講習の効果はあったと思います。それだけでなく、施設利用の促進にも繋がりました。」
職員も利用者もすごく活発ですね。
「公民館の音楽事業を移行したという経緯もあるので。講習会や講座などを積極的に開催し、施設の利用を促進して利用者を増やす取り組みも行いました。」
「練習室の利用が少ない平日・昼間に『音楽教室』という事業を実施しました。例えば『合唱(コーラス)教室』。新規団員を募集している団体とタイアップし、5~6回の講座として開催し、初心者に合唱の体験をしてもらうというもの。講座分の指導謝礼は会館が負担。また、講座終了後も継続参加したい場合は入団してもらう。参加者にとっては合唱のお試しができ、団体にとっては新規団員の確保につながるという、両者にとってメリットがありました。また『オカリナ教室』など、新規で開催するものもあり、講座終了後は、希望があればサークル化し、新たに『定期利用団体』として登録してもらうという流れです。そのほかにも箏や三味線など和楽器の教室も開催し、この分野の利用を作り上げてきました。」
今、りゅーとぴあを使ってくださる方のなかに、この『音楽教室』から始まった団体がいます。楽器を用意する→使える人を増やす→施設が稼働する→楽器を増やす、という好循環ですね。りゅーとぴあに楽器が豊富にあるのはこの流れを汲んでいるでしょうね。
25年が過ぎて見つけた25の話 #14 りゅーとぴあは他の文化会館よりも楽器が豊富である理由を探すと、昔の音文で利用者を増やす取り組みをしてきたことにたどり着く。
寺田尚弘さん
1983年にジュニアオーケストラの運営、指導者として音楽文化会館に採用。以来、音楽文化会館に15年、りゅーとぴあに23年にお勤めされました。最後の役職は事業企画部長で2021年春に定年退職されました。オーボエ奏者です。
追記
寺田さんの人柄が表れるよう会話形式で書いてみました。
インタビュー当日は、ご自身が出演する演奏会がありましたが、事務室の至るところで職員が寺田さんのことを話題にしていました。
「今日、寺田さん来てるね」
「寺田さん、物を運んでいたよ」
「寺田さん、さっきリハーサルしてたよ」
いまでも寺田さんはりゅーとぴあ職員の注目の的なのです。