APRICOT祝20周年!応援メッセージ【元APRICOT担当】
元APRICOT担当から、お祝いのコメントをもらいました!
【APRICOT祝20周年!応援メッセージ】を誰にも頼まれてないのに書きます。笑
私がAPRICOTの担当になったのは2014年。現在も担当してるIさんと2人での担当でした。
自分が担当していた頃に15周年を迎えたAPRICOTが、次のアニバーサリーを迎えるなんて。とても感慨深いです。本当におめでとうございます。
団体のど真ん中に飛び込み、そして外から見守る身になり振り返ると、改めてあの場所が奇跡のような空間でした。
子どもたちが学校帰りに稽古場に集まり、地道なダンスレッスンやボーカルレッスンを積み、セリフやフォーメーションを覚え、先輩は後輩を叱り、より良い作品を目指してそれぞれが悩み、もがき、焦り、最後は踏ん張って最高の笑顔でステージに立つ。
特に夏季公演は、それこそ子どもたちが夏休みの全てを捧げるような毎日で、中にいる大人にとっても怒涛の日々でした。
語り出せばキリがないくらい、たくさんのトラブルや苦労が…。お世話になったスタッフや先生方と呑み語り合いたいです(笑)。でもそれゆえに公演が成功した時の喜びはひとしおで、回を重ねるごとに成長していくメンバーを見守れるのは、担当という立場ならではの特等席でした。
部外者として客観的に舞台を見るようになってからも、そこから放たれるエネルギーは「子どもの演劇発表会」の域を優に超えることを実感しています。と同時に、このエネルギーがあるからこそ、観客は魅了され、中の大人たちも一段上の作品を目指して頑張れていたのだなぁと思わされるのです。
子どもと大人が文字通り1つになって1つの作品を作り上げていく輪の中にいられたことは、私にとって大きな財産になりました。
今回上演される「APRICOTの銀河鉄道の夜」は、私が担当していた頃に初演した、とても思い入れのある作品です。
当時、現場スタッフとして働きながら本番をモニターで盗み見し、ラストシーンで泣いてしまったのをよく覚えています。ジョバンニがお母さんのところへ駆けていくシーンを見て「大切なものを失っても、新しい日が始まればまた前に進んで行かなきゃなんだ」と、公演が終わってしまうのも相まって、感極まってしまったのだと思います。
今年この作品を上演することには、周年記念以上の意味があると(勝手に)感じています。
世界が新型コロナウイルスの混乱に陥り、1年以上が経ってもなお先行きの見えない日々が続いています。そんな中で、感染対策の名の下に子どもたちにとって一生に一度きりのイベントやあらゆる舞台芸術の上演機会がものの見事に奪われていきました。他人と距離をとらされ、マスクを強制され、談笑すら制限されました。行き場のない哀しみ、悔しさ、怒りに「仕方がない」と割り切り過ごすしかありませんでした。
APRICOTも例外ではありません。稽古場での制限を余儀なくされ、今まで通りの公演ができない1年だったそうです。それが「最後の1回」になってしまったメンバーの無念は計り知れません。
宮沢賢治はこの作品を、死んだ最愛の妹を弔うために書いたと言われています。
大切な妹の葬式に臨席できなかった賢治の、願いを込めた葬送が描かれているのかも知れません。
APRICOTが失ってしまった時間。そして今日本中に溢れている「叶えられなかった大切な時間たち」を、どうかAPRICOTの銀河鉄道に乗せてってあげて欲しい。そんなことを思ってしまいます。
コロナ禍の1年は、多くのものを奪われたと同時に、それまであった当たり前の全てが尊かったのだと教えてくれました。
誰かと一緒に空間と時間を共有すること。そこで生まれる葛藤や苦しみすら、人間が人間として生きるための豊かさであると気付かされました。
ジョバンニのように、APRICOTが新しい一歩を踏み出すことを何かの希望のように感じています。どうか、今回の公演がAPRICOTの未来に、舞台を共有できた人たちの未来につながるよう祈っています。
※写真は担当時代の私です。そのポーズできることがもはや怖いよ自分。