東京交響楽団 新潟定期演奏会
新潟で定期的に日本最高水準のオーケストラを聴く
開館当初から定期演奏会を実施
1946年に東宝交響楽団として創立、1951年に現在の団名に改称した東京交響楽団(東響)。サントリーホール、ミューザ川崎シンフォニーホール、東京オペラシティコンサートホールでの主催公演やウィーン楽友協会をはじめ数多くの海外公演を行い、子ども向け教育プログラムにも力を入れる他、日本のオーケストラ初の音楽・動画配信サブスクリプションサービスや約20万人が視聴した2020年ニコニコ生放送でライブ配信した無観客演奏会など、ITへの取り組みも注目されています。
1998年のりゅーとぴあ開館時に新潟市と準フランチャイズ契約を交わし、1999年以降、りゅーとぴあで定期演奏会を開催。地方公演にありがちな分かりやすい曲だけでなく、首都圏のプログラムをそのまま新潟でも定期的に演奏し、初年度より「東響新潟定期会員」制度を導入しています。
準フランチャイズ契約を結んだ背景
りゅーとぴあのコンサートホールは約1900席。ステージを客席が360度囲むアリーナ形式で、音響設備に優れ、繊細な音もホールの隅々まで行き渡ります。音響だけでなく視覚的にもステージとの一体感と臨場感を味わえる設計で、特にオーケストラの演奏が際立つ空間。音楽関係者からも高く評価されています。
せっかくのコンサートホールを活かし、一流のオーケストラの演奏会を定期的に実施するため、当初、新潟市独自のオーケストラを持つという案が浮上。りゅーとぴあのスタッフを含め関係者は各地のオーケストラを視察・調査しました。その結果、最高レベルの演奏ができるクオリティーを維持しながらオーケストラを継続するのは莫大な費用がかかると判明。開館当初のアドバイザリー・プロデューサーから提案され、在京オーケストラと提携して定期演奏会を開催しようという結論に至り、条件面等で合致した東響と新潟市が準フランチャイズ契約を結びました。
地方ホールの常識を打ち破る画期的な試み
りゅーとぴあの開館前、新潟市でオーケストラ・コンサートが開催されることは年に数回程度で、プログラムも名曲中心の定番がほとんど。オーケストラによっては明らかに東京公演とメンバーが入れ替わることもありました。「最高レベルのオーケストラ演奏を新潟市で実現する」ため、東響との提携にあたっての当初の取り決めは「新潟の演奏会は、東京公演の翌日で、同演目」。定期演奏会を毎回同じ専用席で聴ける「東響新潟定期会員」システムも導入します。いずれも地方ホールとしては画期的な試みでした。
東響は日本初演の曲を意欲的にプログラムに取り入れるなど「挑戦的なオーケストラ」として知られています。定期演奏会の初期には聴衆から「分からない曲が多すぎる」という意見があり、りゅーとぴあと東響は演目について数年間をかけて話し合いを重ね、新潟初演中心の回と、なじみのある曲も演奏する回を半々で開催する形に。他に新潟オリジナル企画も実施しています。
演奏会当日の昼には、ホワイエで楽団員による無料のロビーコンサートを開催。楽団員のトークもあり、目の前で繰り広げられる演奏により、クラシック音楽がより身近に感じられます。過去には本公演のソリストとして出演する世界的チェリストのウェンシン・ヤンが出演したこともありました。
お客様の声~アンケートから~
- 第1回からの会員です。毎回素晴らしい演奏と演目で感謝しています。(40代)
- プロの演奏、音の芸術、楽曲とも素晴らしいの一言。(60代)
- 東響の皆さんがあんまり素晴らしいので、あとは自分がどれだけ感じ取れるか。(50代)
- 楽団員と楽器が宝石のよう。精神力、気力、体力に感心した。(60代)
- ジョナサン・ノット氏の表現を堪能!(中略)ラフマニノフの2番に自分の人生を重ねました。(60代)
- 人生捨てたもんじゃないぞと勇気づけられた。(中略)もっと若い聴衆が来れば良いのに!(70代)
- 音楽は心を癒す。心が嬉しいと生きる力になる。生きる力が、明日のエネルギーになる。感動をありがとうございます。(50代)
- 45年勤務した会社を退職する記念に大好きな「田園」を聴きに来ました。一楽章から涙が出るほど感動いたしました。(60代)
- 母の日に最高のプレゼントでした。音のシャワーを全身で浴び、席を立ちたくないほど感動しています。(70代)
クラシック音楽で新潟の街を豊かに
これまで超一流の指揮者やソリストが登場した定期演奏会は2023年までに130回を数え、来場者数は16万人以上。首都圏に拠点を置くオーケストラが地方都市で130回もの定期公演を行い、定期会員制度まで運営している事例は新潟市以外にありません。
東響を定期的に聴くことで「耳の基準」ができた来場者は、他のオーケストラの演奏と比較したり、演奏ごとの特徴を聞き分けるなど「耳の肥えたクラシックファン」に成長しました。
また東響のメンバーも、新潟という土地に大きな愛着を持つようになりました。りゅーとぴあでの開演時、楽団員全員が登場するまで聴衆から拍手が贈られ、楽団員はコンサートマスターが登壇するまで着席せず待ちます。これは実は、首都圏のコンサートではあまりないこと。東響と新潟との厚い信頼と確かな絆が感じられるエピソードです。「新潟のお客さんは温かく、耳が肥えている。気を抜かずに良い演奏をしなければという気持ちになる」と楽団員は話しています。
世界の一流アーティストが出演する日本最高水準のオーケストラを、コンサートホールいう非日常空間で定期的に聴く体験を積み重ねるうちに、心豊かに日々を過ごす人が新潟に増え、それが街の魅力にもつながっていく。20年以上にわたる東響の定期演奏会が、新潟を音楽で活気づける一端を担ったことは間違いありません。2014年度シーズンより東響第3代音楽監督を務めるジョナサン・ノットは「過去・現在・未来を繋ぐ『音楽の旅』をみなさまと分かち合いたい」と2022―23年新潟定期演奏会のパンフレットにコメントを寄せました。東響と新潟、りゅーとぴあの音楽の旅は続いていきます。